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2009.5.28
本物は、錆びない―春の思い

春が来た。また、春が来た。におい立つような暖かさが街を包む。山の景色は水墨画のような白と灰色から、緑に変わった。ペダルを踏みしめて自転車通勤をする楽しさも復活した。草は萌え、こころが沸き立つ季節…のはずだが、実は春は必ずしも浮かれ気分で過ごすだけの季節ではない。新しいことが始まる、ということは、希望だけが満ち溢れているわけではない。希望と同じくらい、いや場合によっては希望以上の、不安や不満といった後ろ向きの気持ちを抱えて日々を過ごすことにもなる。この時季にはいつも、胸の奥がじりじりするような独特の感覚を抱くのだが、それは“前向きな気持ち”と“後ろ向きな気持ち”が、自分の中でせめぎあっているときに発せられる「熱」のせいだ。一般的には「木の芽どき」などという言葉で表現するのだろうが、なるほどこうした体内感覚は他の季節にはない。 

そんなことを考えながら、7年ほど前、後ろ向きな気持ちが圧倒的に大きな中で春を過ごしていたことを、ふと思い出した。「このままでは、“錆びてしまう”」という叫び声が、頭の中に響き渡っていた、あの春を思い出した。

社会人となり、アナウンサーとして第一歩を踏み出したころ、先輩たちからこんなことをよく言われていた。「今のうちに、若いうちに、とにかくたくさん基礎練習を重ねて、しっかりとした技術を身につけろ。時間を見つけて発声練習しろ。放送で使った原稿を記者から貸してもらって、読みの練習をしろ。新聞を声を出して読め。スポーツ中継を画面で見たら、とりあえず声を出して、実況してみろ。アナウンスは“身体表現”だから、無意識にできるようになるまで、身体になじませることが大事なんだ。」「それから、身につけたと思って安心してしまったら、身体はすぐに忘れてしまうぞ。何歳になっても、現場の臨場感の中で実際に声を出し続けていろ。言葉の反射神経はごまかしがきかない。手を抜いたり、気を抜いたら、すぐになまるぞ。そして、お前を番組で使おうと思っている人たちは、そういうことを敏感に感じるものなんだ。」 

続けること。積み重ねること。その大切さを説いた先輩方の言葉に間違いはなかった。自らがその重要性を経験したのち、後輩たちにも同じことを説いていた(ただし、先輩たちの10倍ぐらい話が長かった気がする。明らかに困惑した顔、こわばった顔、苦笑いを押し殺した顔をしていた彼ら、彼女らに、今は申し訳ない気持ちでいっぱいです)。積み重ねる機会あるかぎり、この姿勢は貫くべきもので、生活そのものの規範ともいうべきものとなって、10年余りの歳月を重ねていった。

そんな自分にとって、その春は、社会人となって初めて迎えた「アナウンサーではない」立場での春だった。「続けていかないと、技術は錆びる」ということが、当たり前のこととしてしみついている中で、「続けること」そのものができない時間を受け入れるのは、苦しかった。自分の内面で「錆びていく姿」のイメージばかりが膨らんで、焦りばかりが先走っていた。1年後の春、2年後の春、5年後の春…そんな「錆び」への焦りをいつのまにか忘れてしまい「そんな時代もあったよなあ」と、他人事のように振り返って、全く違う生活になじんでいる自分を想像することに、恐怖を覚えていた。逃げ出したい、でもどこに逃げたらいいのか…答えのない自問自答を繰り返す中で、毎日が過ぎていった。歳月は過ぎたのに、時折あのときの思いが、あふれるように蘇るときがあるのが、春という季節の、ある意味厄介なところである。

今年の春。そんなことをまた思い出したものの、とりあえずは自分を見失うほどこころが乱れたりはしていない。時間が経ち、またちょっとは人間として成長したということもあるが、何よりその後、ある言葉を焼き付けることができたからだ。 
今は亡き、人生の師ともいえる方が遺した言葉。 

「アナウンスは、人格でするものです」 

反射神経を基に作っていく身体表現。それは間違いはないだろう。だから「使わなかったら、錆びる」という強迫観念に襲われることも無理からぬことかも知れない。しかし、それ以上に、人間の頭で考えられた言葉を、人間の口から発する以上、アナウンスと人格は一体のものである、という論理に偽りはない。つまり、アナウンスが錆びるときは、人格が錆びるときなのだ。逆の言い方をすれば、人格が錆びなければ、アナウンスは、錆びない。自分が置かれている境遇などは、言い訳に過ぎない。恩師の、優しくも、厳しく、真摯な姿勢が込められた、重い言葉である。 

今思えば、あのとき、あそこまでこころが乱れたのは、人間として幅が狭かったがゆえ、ということに尽きる。「人生は自分の思い描いたように行くとは限らない」という、至極当たり前のことを受け入れることができなかっただけの話である。そのことを知った上で、今、あの頃の自分に言い聞かせてみる。「錆びるか、錆びないか、決めるのは、お前自身だよ」