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2009.11. 5
戦いの彼方に「ふるさと」を思う

走攻守に緊張感にあふれる、スポーツの魅力の結晶体のような

珠玉の試合が連日行われている今年の日本シリーズ。

試合の合間に、ふと頭をよぎるのは

6年前の切ない記憶であり、2年前に聞いた「ふるさと」という言葉である。

その言葉の主は、激闘の渦中、3塁側のベンチにいる。

 

2004年。一連の「球界再編騒動」の年だ。

あの騒動のとき、ファイターズは北海道移転1年目。

前フランチャイズ・東京では球団経営、チーム成績ともにジリ貧。

東京にいたままだったら、あの荒波に飲まれていただろう、といわれたが

北海道に移転していたことで、ある意味、あの喧騒とは無縁な存在であった。

 

結果、荒波に飲まれたのは、55年の歴史を持つ、近鉄バファローズだった。

6月にオリックスとの合併報道がされて以来、北海道への遠征の際は、

グラウンドに多くの報道陣が詰めかけ、監督、選手は取材にさらされた。

スポーツ選手としてではなく、「職を失いそうな人たち」として。

そのとき、浮き足立つ選手たちを束ねていたのが、梨田昌孝監督である。

 

あの時起きた「球界初のストライキ」。

開催されなかったファイターズ戦を、実況する予定だった。

対戦カードは、近鉄戦。

「猛牛軍団」と呼ばれ、プロ野球に興味を持ち始めて以来親しみのあったチームを

実況する唯一度の機会は失われた。

その日、勤務は急遽休みになった。

空虚な休日を過ごしたことを、よく覚えている。

 

「選手や裏方など、まだ次の職が決まっていない人が大勢いるのに、

自分が真っ先に次の職を得るわけにはいかない」と、

合併後のオリックスバファローズから

ヘッドコーチ就任の要請を断った梨田監督が

2008年に復帰した先は、ファイターズ。

就任直後、ファンフェスティバルでの挨拶で、こんな言葉を残した。

「近鉄とオリックスが合併して、私には、野球のふるさとがなくなってしまいました。

そんな自分に、新しい生命を吹き込んでくれたファイターズには

感謝の気持ちでいっぱいです」

 

70年以上の歴史を重ねてきたプロ野球とは、そのチームとは、そこで暮らす人々にとって、単に娯楽を享受させてくれるものを超えた位置づけであるというのが、社会人のスタートの地であり、プロ野球取材の基本を学ばせてもらった、名古屋での12年の生活の中で得た、自分の変わらぬ思いでもある。ある者には自分の分身のように、あるいは家族のように喜怒哀楽を重ねる存在であり、ある者にとっては、特別興味はないのに、いやおうなく会話につきあわされるような、うっとおしい存在である。そうしたものを総じて言うと「地域の中で、生活をともにしている」まさに「ふるさと」のようなものだ。

 

今や紛れもなく北海道の人たちの「ふるさと」のような存在になっているファイターズ。

東北の地にあらたな「ふるさと」として定着したイーグルスとの戦いを制し、頂上決戦に臨んでいる。対戦相手は、以前は北海道の多くの人が「ふるさと」のように感じていた(それは実態をともなったものではなかったが)チーム。

そこには、理不尽にかつての「ふるさと」を奪われ、この地を新たな思いを抱く指揮官がいる。

 

グラウンド上のプレーの密度の濃さはもちろんだが、その向こう側に、多くの「ふるさとへの思い」があふれているのが、1年の締めくくりである日本シリーズなのだと感じている。

 

もし、最終決戦、第7戦までもつれることになれば、テレビ東京系列で中継。

それぞれの人の、ふるさとへの思いのように、深くこころに刻まれる戦いを伝えることになるのか。

手に汗握りながら、その時へ備える時間を重ねている。