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2012.8. 9
投げ飛ばしてくれて、ありがとう

「投げ飛ばされた」ことが

これほどまでに誇らしく、光栄な思い出になるとは。

人生の不思議さを実感した。

 

12年ほど前のことになる。

名古屋の放送局にいるとき、ある仕事をすることになった。

 

「“天才女子大生レスラー”を紹介するんだけど、

体験リポートで、彼女とスパーリングしてくれない?」

 

まだオリンピックの正式種目にもなっていなかった時代。

女性がレスリングをするというのは

まだまだ珍しいことと解釈されていた。

 

尋ねていった中京女子大(現・至学館大)は

当たり前だが女性の園。

しかし、体育館の地下に案内されると

そこは「道場」の緊張感にあふれていた。

 

指導者である栄和人監督(現・日本女子代表監督)は

「間違いなく世界最強。オリンピック金メダルも必ず取る」

と豪語していた彼女は、

純朴そうで、優しい目をした、普通の10代の“女の子”だった。

 

そして、スパーリング。

勝負になるわけはない。

投げ飛ばされるのが“お約束”なのもわかっている。

組んで、飛んで、マットに横たわるまで

30秒ぐらいだったと思う。

想像とは全く違っていた。

持ち上げられて、回されてと、投げられる過程において

もっと、「力感」があると思っていたのに

すっと、あるいは、ふわりと回転し、

気が付けば天井を見ている。

もちろん、たたきつけられた痛みなどない。

無重力の中を遊泳するような感覚だった。

 

「ムダのない動きで

相手の力を利用して投げるとそういう感じになるんです。」

栄監督が笑顔で解説してくれた。

これが天賦の才能というものかと思い知らされていた。

 

しかし、女子レスリングがオリンピック種目となり、

日本の得意種目として

脚光を浴びるようになっても

彼女は、その光の中にはいなかった。

世界選手権を6度も制した彼女の階級は

五輪では採用されなかった。

一階級上には、吉田沙保里がいた。

北京の代表選考会では完敗。

ショックで鬱状態になるほど、打ちひしがれた。

後に夫となる男性が、支えとなった。

一階級下の、妹のコーチとしての再出発。

その妹が、自らの夢破れたときの

「今度はお姉ちゃんがオリンピックを目指すべきだ」

の言葉で、現役復帰。

ナチュラルウエイトよりも下の階級。

減量は決して簡単ではない。

そしてブランク。

格闘技という、対戦相手との感覚がものをいう競技では

致命的な課題になりがちだ。

 

それでも、

彼女はそれらを乗り越える

天から授かった才と、

遠回りの人生の中でつかんだ人間力、

そして支える人々という

得難いものを身につけていた。

 

最初で最後のオリンピックと決めて臨んだロンドン。

しなやかに、巧みに、そして火のような熱さで勝ち進む。

 

レスリングの神様は

競技に、人生に、

真摯に向かい合った彼女を、見捨てなかった。

 

女子48㎏級金メダル

小原日登美選手。(旧姓・坂本)

 

当時19歳の貴女に投げ飛ばされた思い出は

一生の宝物です。

おめでとうございます。