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2013.9. 2
5度目の節目に~「いまを生きる」を思う

1年の中で「節目」にしなければならないと
心に決めている時期がある。
その時期がまた、やってきた。
恩師の命日。
己のいのちと引き換えに
アナウンサーを志す若者たちの
心に宿る小さな希望の灯に
底抜けの愛情という薪をくべ、
その灯を、少しずつ大きくしてくれた人。

「アナウンスは人格でするものです」
「向き不向きより、前向き」
幾多の魔法のことばが
薪となって、彼ら、彼女たちの心の灯は
徐々に勢いを増し、
その灯を頼りに、アナウンサーの道を探し当てた者は
全国で数千にも上る。
そんな、恩師の命日に、
己の仕事に向き合う時期。
 


この仕事をしていて、
ときに、こんな言葉を投げかけられます。
「アナウンサーはいいよな。
野球を見ているだけで仕事になるんだから」

野球の部分が、サッカーであったり、テレビであったり
他の言葉に置き換わることもありますが、
客観的な事象としては、その通りです。
返す言葉もありません。

ただ、
いくつか細かい点について修正させていただくなら
「見て」いるのではなく「観て」います。
そして、見ている「だけ」ではありません。
また、見ているだけでは、「仕事」にはなりません。

目や耳から入れた情報を、
反射的に言葉にする訓練をし、
不特定多数の視聴者の最大公約数に
画面で起きている事象の意味をわかりやすく伝える
適切な言葉を探す訓練をし、
そして実際に放送で言葉を発する立場になったときに、
適切なタイミングで、適切な表現を瞬時に選択し
発することができるように、
野球を「観て」います。

野球ということで思い出しましたが
先日、今シーズン限りでの現役引退を発表した
ヤクルトの宮本慎也選手が
引退会見で話していた言葉を思い出します。

「好きで始めた野球だけど、
プロに入った瞬間に野球が仕事になった。
最近は『楽しみたい』と言う選手が多いけど、
僕は野球を楽しむなんてできない。
仕事として19年間、
向き合ってきたことが誇りという思いはあります」

「楽しむ」という言葉の定義によって
異論もないわけではありませんが
概ね、共感します。
自分の思いを伝えるための言葉だけど、
それを発することが仕事となれば、
しゃべればいいというものでもない。
いつも「これでいいのか」と考えながら発する。
野球も、サッカーも、テレビも
そのために「観て」いると、思っています。

でも、一方で
「見ているだけで仕事になる」と言われる側面から
逃れられない職業でもあります。

その恩師の遺作である本のタイトルは
「いまを生きる~されど、アナウンサー」

アナウンサーは「いまを生きる」仕事なのだ。
何をしていても「いまを生きる」のが仕事なのだ。
それはときに、「何をしているのかわからない」という
疑問や揶揄を投げかけられることもある。
それもまた「いまを生きる」ことなのだ。
だから
「されど」アナウンサーなのだろう。

恩師が生涯大切にされたのが
「謙虚であれ」
最近になって
その意味について
こんな言葉も遺されていたことを知りました。

「謙虚さというのは自分を無にすることではない。
自分をしっかり持ち、相手を愛し、尊敬し、受け入れられることだ。
自分が一番という考え方からは
生まれてこないものなのだ。
『誰にも負けない』も同じだ。
自分に負けないように、
精一杯生きなければならないのだ。
理想の自分に挑戦するために
自分以外のすべての人たちを愛し、尊敬し、
その能力や思いを得て
成長し、頑張ることなのだ」

まだまだ、全くその領域には到達できていません。
恥ずかしくて消え入りそうになる現実を受け止め、
止まってしまった恩師の年齢に
また一つ近づいた今、
「いまを生き」続けなければと
5度目の命日、9月3日に
思いを新たにしています。