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まだ、しゃべるんですかぁ〜!?

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

氷上に咲く笑顔の彼方

2週間前の、ほとばしる闘志は、そこにはなかった。
ただ、穏やかな、優しい時間が流れていた。
ソチオリンピック世界最終予選の日本代表をかけた決定戦。
夢破れた、ロコソラーレ北見の選手たちは
あのとき戦った同じシートの上で
子どもたちに、カーリングの楽しさを教えていた。

札幌市内の児童養護施設の新小学1年生に
ランドセルをプレゼントする社会貢献活動を
4年前から行っている、キャプテン・本橋麻里選手と
ロコソラーレの選手たち。
2週間前、五輪の夢破れ、涙で去った氷の上。
この日は笑顔にあふれている。
 

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ソルトレイク、バンクーバーと
当時国内最強のメンバーと練習環境を揃えた
事実上の「ナショナルチーム」チーム青森の一員として
五輪の大舞台に立った本橋選手は
バンクーバーの後、その恵まれた環境を自ら離れ
故郷・北見市常呂に戻り、ゼロからチームを立ち上げ
ソチを目指した。

その過程の一部を
2年前、特別番組の収録の際に見せてもらった。
時期は、ちょうど今頃。
30年前の常呂にできた
通年型のカーリングホールは
毎年10月末になると、町内のリーグ戦が始まり、
カーリングの季節になる。
20チーム以上が参加し、毎夜のように試合を行う。
老いも若きも、大人も子どもも垣根なく、
カーリングという競技を通じてつながっていく。
その中に、「常呂のカーリングの父」
小栗祐治さんの姿もあった。

30年前、常呂にカーリングを持ち込み、
地域の若者たちを駆り出して屋外に氷を張って
手製のシートを作り、
カーリングを地域のスポーツに押し上げていったのが小栗さん。
その後、地域の有望な若者たちを発掘した。
本橋選手も、他のロコの選手たちも、
彼女たちを破って代表の座を得た
小笠原歩選手も、船山弓枝選手も、
常呂出身のカーラーたちは
すべて、小栗さんたちが切り開いた道を歩んできた。

リーグ戦開幕でにぎわうスタジアムの
一番端のシートで、
ロコソラーレのメンバーたちは、
いつものように淡々と練習をしていた。
そこに小栗さんが声をかけると、
彼女たちは屈託なく笑い、会話に花が咲く。
隣のシートでは小学生の女の子たちのチームが
お父さんたちのチームと真剣勝負をしている。

空気のように街にカーリングがある。
アスリートが競技する環境としては
恵まれているとは言えないが、
かけがえのないものが
そこにあると感じられる風景だ。

そんな風景の常呂から
五輪を目指した彼女たちだが、
北海道銀行、中部電力といった
企業のバックアップを持つチームに屈した。
頼みの故郷・常呂のカーリングホールは
老朽化のため閉館し、新ホール建設の最中。
氷を探して札幌まで遠征にも来たが、
十分に氷上練習を積むことができないまま
大会に臨み、そして、敗れた。

かけがえのないものと、
勝つために必要なものは
イコールとは限らない。
それが、勝負の世界の現実ではある。
切ない、現実である。

ただ、子どもたちにカーリングを教えている
彼女たちの笑顔は
間違いなく、あの常呂の風景からつながっている。
「もっとカーリングを、純粋に楽しむ」
本橋選手のその思いから生まれたのが、ロコソラーレ。
だから、常呂のチームなのである。
たとえ戦いには敗れても
彼女たちの思いにブレはない。
そう思わせる光景だった。

楽しむことが、強くなる第一歩。
でも強くなることは、敗れる悔しさを知ることでもある。
勝つ楽しさと、敗れる悔しさを紡いで
人は、前に進み、次の笑顔へとつながっていく。

「敗れたカーリング仲間の涙を背負って
私たちは、ソチの代表権を必ず取ってくる」
常呂で育った
北海道銀行のキャプテン・小笠原の言葉である。

世界最終予選は、12月。
みんなが、次の笑顔に包まれますように。