tvhテレビ北海道

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まだ、しゃべるんですかぁ〜!?

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

1年の納めに、「負けず嫌い」の言霊を

気づけば、2014年のゴールテープもあとわずか。
スピードを緩めて、余裕の笑顔でテープを切ろうと思ったが
そうは問屋が卸さないのがこの世界の常。
年明けの「新春アスリートインタビュー」企画の取材、構成、製作で
最後までスピードを緩めることなく、
顔をゆがめてフィニッシュすることになる。

担当した、道内ゆかりのアスリートの一人が
バスケットボール・レバンガ北海道の選手兼社長、
44歳の折茂武彦選手。
シーズンまっただ中にして、
社長として、年末の挨拶周りなど多忙な中
50分あまり、インタビューに応じてくれた。
主な内容は、2015年1月7日(水)の
「TVh道新ニュース」でご覧いただくとして、
そこに入りきらなかった、
日本バスケット界の「プレーする伝説」が残した
言葉を、紹介したいと思います。

新たな年を迎えるにあたり、
胸の奥を熱くする火を灯してくれるような言葉です。

「僕は子どものころから負けず嫌い。
44歳の今もそれは変わっていない。
相手が若手だろうがなんだろうが関係ない。
今でも負ければカチンと来て、身体の内側がカッと熱くなる。
それがなくなったら、コートにはもう立てないし、
立つ必要もない。

選手に給料が支払われないとか、チームが消滅したとか、
北海道に来て、いろんな経験をしました。
初めて練習したのは、廃校になった高校の体育館。
電気も水道も通ってなくて、外は雑草だらけ。
『何なんだこれは!?』って正直に思いましたよ。

そのころからついてきている選手たちが今もチームにいる。
彼らもまた、たくさんの経験をして、
プロのスポーツ選手ってどういうことなのか、
いいことばかりじゃない、痛みも伴うこともあるし、
それを当然のことと受け止めなきゃいけないこともある、
そういう職業だったっていうことを、身に染みて理解している。
僕も今まで、包み隠すことなくすべてのことを話してきたし。
だからうちのチームの選手たちの意識は、とても高い。
あいつら、いいヤツなんですよ。
そんな彼らに、北海道でバスケットをやっていてよかったなって
思わせたいですよね。
僕、負けず嫌いですから。

日本のバスケット界がプロへと向かう、
この流れは、止まることはないでしょう。
その中で大事になっていくのは、
『プロという職業で必要なこと』を学ぶ機会や教育だと思うんです。
その点でうちの選手たちは、たくさんのことを学んで、身に着けて、
今ここにいる。
自分たちがここにいるのは誰の力があるからなのかを知っている。
そして、彼らをここに居させているのは、北海道の力ですよね。
日本のバスケット界は正直、今がどん底。
ということは、これからは上がるしかない。
僕たちもどん底を経験している。
だから、上がり方も知っている。
ということは、北海道から
日本のバスケット界の今後について
発信する力があるんじゃないか、って思っています。

バスケットをやっている選手たちが、
何億円ももらっているプロ野球の選手に
負けているとは、これっぽっちも思わない。
あんなに走って、冷蔵庫みたいな大きな外国人と身体をぶつけあって、
あんな繊細なシュート1本で、天国と地獄が分かれちゃう。
こんなスポーツをやれる人間が、
アスリートとして負けているなんて思えない。
でも、今の日本のバスケット界のままだったら
環境も、待遇も、他のスポーツに負けっぱなしですよね。
それは僕としては受け入れがたいんですよ。
バスケットが負けたままは、許せないんですよね。
僕、負けず嫌いですから。

僕だけじゃない。
日本でバスケットをしている、
楽しくて、このスポーツを選んでいる子どもたちに
『バスケットを選んだ俺たちは、
他のスポーツを選んだ奴に、負けてないよな』
って、思わせたいんです。
彼らも、彼女たちも、負けず嫌いだろうから」

きっと誰もが、自分にしかない
負けず嫌いを持っている。
その心の炎を
2015年も、灯し続けよう。