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まだ、しゃべるんですかぁ〜!?

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

手紙~拝啓 47の君へ~

ある朝。
いつものように郵便受けを開けると
見慣れぬ文字で書かれた一通の手紙が。
思いもかけなかった送り主の名前を見て、
胸が高鳴りだす―。
そんな小説の書き出しのような出来事は、
所詮フィクションでしかないと思っていたが、
先日、それが現実に起きた。

黄色の、目立つ色の手紙。
送り主は、東京の、あるボクシングジム。
会長を務めているのは、
以前このブログでも紹介したことのある、
元WBAスーパーフライ、バンタムの2階級のチャンピオン、
戸高秀樹さん=41歳=である。

20代の半ばから7年あまりボクシングの実況を担当した。
地方放送局のアナウンサーとして
この競技を実況する上で、
最上の試合は世界タイトルマッチ。
それが彼の試合だった。
世界王者になった瞬間や
壮絶な打ち合いの末のKO防衛など、
幸いにして、内容もこの上なく濃い試合ばかりだった。
スポーツアナウンサーとして体験できる
およそすべてが詰まったといえる
夢のような時間を与えてもらった、
いわば「恩人」のような選手だった。

2004年に現役を引退し、ジムを設立。
ジムの経営者、ならびに指導者という新たな闘いのリングに立ち
今年、10周年を迎えたという報告の手紙だった。
若い選手たちに囲まれ、ファイティングポーズをとる元王者。
写真で見る限り、体型はさして変わっていない。
目の輝きは、
現役時代の、獲物を狙う鋭いものから
柔らかさを伴ったものになっていた。

当たり前の話だが
年をとるということは、たくさんの経験を重ねることだ。
経験は、問題解決に必要な想像力を生み出す道標だ。
初めての道であっても、
普段から車を頻繁に運転していると、
わかばマークの頃のように
ハンドルを握る手のひらに変な汗をかくこともない。
仕事も同じ。
時間を効率よく使って準備を進めたり、
ちょっとしたハプニングに遭遇しても、
取り乱すことなく対処することを助けてくれるのが経験だ。
ただ、悪く言えば、“こなれてしまう”ことにもつながる。
成熟でもあるが、惰性や、退屈にもつながりかねない。

若い時は、まるっきり逆。
未成熟ではあるが、それゆえに
あらゆる出来事が記憶に深く刻まれ
成功は成長の推進力となり、
失敗は、二度と繰り返したくない苦みを与えてくれる。
ボクシング実況の経験は、
その時期と全く一致するものだ。
だから、ちょっと恥ずかしく、また、愛おしい記憶だ。

何より、ボクシングというスポーツを伝えることの
緊張感と高揚感は、ちょっと他のスポーツとは違っていた。
12ラウンド(世界戦の場合)、
1分のインターバルを合わせて47分間、
気を抜ける場面はひとつもない。
どんなに優勢に試合が進んでも
一発のパンチで、すべては変わる。
見逃すことは許されない。

一瞬ですべてが変わるのは、試合の勝敗だけではない。
そのボクサーの人生も変わる。
輝くほうに変わるだけでなく、暗転もある。
さらにいうと、ボクシングの中継があるかどうかは
特定の選手次第、という時代であったがゆえ、
その一瞬がきっかけで
ボクシング中継から撤退、
ゆえにそれが最後のボクシング実況になるかも、
ということを頭に入れながら、
毎回、準備していた。

ずっと続けていきたいと思える、大好きな、
でも、これが最後になるかもしれない、
そう考えながら過ごす時間は、
幸福感、充実感、緊張感と、頭をかすめるさみしさが詰まっていた。
そして
「だから、きょう1日できることを、精いっぱいやろう」
「これが最後になっても、こころから『ありがとう』といえる気持ちで
実況しよう」
心の底からそう思っていた。

手紙のお礼のメールを入れると
元王者から返信をいただいた。

「あの頃は僕の青春時代であり、
大変失礼ですが、皆さんは青春時代を一緒に過ごしてくれた
僕の仲間でもありました」

全然失礼じゃありません。
そういってもらえて、この上なく幸せです。
なぜなら、僕もそう思っていたからです。
その時間の大切さを味わいながら、
今を生きる―。
ひとことでいえば、青い春、だったんだよな。

拝啓、47の今の君へ。
君は今、そしてこれから、
あのときのような気持ちで、
一日一日を過ごせますか。
その時間の結晶として、
アナウンサーの仕事を果たしていけますか。

ジムの経営者として、第二の青春を過ごしている
大切な人からもらった手紙に
もう一つの返信をしてみた。
よき返事が届きますように。