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2016.6.11
糸をつなぐ

“「今」を追いかけ、伝えることがテレビ局の使命であり
そこに勤めるアナウンサーの使命も、また然り“
新入社員の頃から叩き込まれ、
現場に行くたび、呪文のように頭に浮かぶこの言葉。

もちろん、それはとても大事なこと。
仕事の生命線といっていい。
でも、「今」をとらえ、伝えるためには
「過去」を知り、学ぶことも同じくらい大事―。
これもまた、先達からの言葉であり、
我々の仕事の根幹にかかわるものだと思う。

先日(6月7日)、
「TVh道新ニュース」で、こんなニュースを読んだ。
「スタルヒン生誕100年を記念し
日本ハム大谷らが出身小学校を訪問」

 大谷キャッチボール.jpg

キャッチボールをしたり…

大谷パネル貼り.jpg

スタルヒンのパネル作りにも加わった

2日前に、日本プロ野球最速の163㎞/hを記録した
「球界№1の“時の人”」大谷翔平が、
旭川での試合前に小学校を訪問する。
ニュースのトーンは、当然ながらそうなる。
そしてやっぱり、画(え)になる。
…というところで、かの言葉を思い出してみた。
彼が訪ねた、旭川市立日章小学校を卒業した
ビクトル・スタルヒンという投手のことを。

スタルヒンパネル全景.jpg

完成したパネル

その選手の名は
プロ野球に興味を持った小学生の頃(40年ほど前)、
「基礎知識」として知った。
「日本球界初の300勝投手」
「ロシア革命の混乱から日本にやってきて、
野球と出逢った数奇な人生」ぐらいの認識だった。
(ロシア革命とは何か、ということはもっと後に知ったのだが)

このニュースに触れるに当たり、
今回改めて、もう少し掘り下げてみた。
野球人だけでなく、「人間」スタルヒンも含めて。

「時代に翻弄された」という表現では
月並みすぎて伝わりきれないほどの、
過酷な人生が伝わってきた。
9歳のときに家族でロシアから旭川に渡り、
「日本人より日本人らしい」といわれた彼は、
生涯、無国籍だった。
旧旭川中(現・旭川東高)を中退し、
大日本野球倶楽部(巨人の前身)に身を投じたのも
「そうしなければ国外追放する」と脅されたから、という。
そして戦争の影が近づくと、
「須田博」という屈辱的な名前でプレーすることを命じられ、
スパイ容疑をかけられて、尾行されることもあったという。
太平洋戦争が始まり、職業野球が中止になると、
他の外国人とともに長野・軽井沢に抑留状態にされた。
プロ野球への復帰を果たした戦後の1953(昭和28)年、
過去に挙げたシーズン42勝の記録が、
スコアブックの見直しによって2勝減らされるということも起きた。
(彼の死後42勝に戻され、稲尾和久と並びプロ野球記録)

スタルヒンパネル①.jpg

ビクトル・スタルヒン(1916-1957)
沢村栄治らと同時代に生きた
プロ野球黎明期を代表する投手
191センチの長身から投げ下ろす速球は
後の映像解析から153㎞/hを出していたという。
プロ通算19年 303勝176敗

これらの逸話は、ほんの一部である。
正直な感想を言えば、
もし彼が、今の日本にいたら、
こんな理不尽な経験をしただろうか、
プロ野球界のトップ選手としての敬意を持って、
というより、それ以前に、
一人の人間として当たり前の尊厳を持って
生きることができたはずなのに、と思った。

「そんな時代だった」で片づけては、
何も先に進まない。
「時代」を作っているのは、
そのときに暮らす人の心の有りようである以上、
同じことが繰り返されない保障は、どこにもない。
だから、今を生きる人はいつも
歴史を忘れず、
歴史から学ぶ必要があるはずだ。

この日試合が行われた球場が
日本で初めて、個人の名を冠した
「旭川スタルヒン球場」。

スタルヒン球場.jpg

1982年命名。
高校野球北北海道大会などでも使用される、
日本最北のプロ野球公式戦ナイター開催球場である。
この日の試合はファイターズは広島に2-3で敗れた。

旭川の人々に慕われた、
郷土の英雄を讃える」という意味以上の、
彼の人生を知り、その背景にあったものを知り、
歴史から学ぶ機会が身近にある、
そんな意義が、そこにはあると思う。

今回の大谷たちの訪問の際、
日章小の児童たちが、
スタルヒンについてまとめた発表を行った。
研究発表.jpg

児童が掲げている「83」という数字は
スタルヒンが挙げた通算の完封数。
今なお、日本プロ野球記録である。

100年前に生まれた人のことを調べることで、
これからを生きていく旭川の子どもたちに
歴史という時間の糸が、つながったはずだ。
それを取り持ったのが、
今、北海道にある、プロ野球チームであること、
すなわち、プロ野球が、歴史の糸を途絶えさせず、
つないでいく姿勢を示したことにもまた、
意義がある。
 

記念撮影②.jpg

この日、5月の月間MVP受賞が発表された
レアード(右)も参加。
相変わらずのナイスガイぶりだった。

訪問の締めくくりで、大谷は児童たちにこう声をかけた。
「まだ僕も皆さんと同じように夢の途中にいます。
スタルヒンさんという先輩を目標に、
一緒に夢を追いかけていきましょう」

児童たちは、いつかこの言葉を
改めて心の引出しから出すことがあるだろう。
そのときまた、歴史に触れ、学ぶ機会にもなる。
そこにもまた、意義がある。

かくて、糸はつながれていく。
一本一本は、細いけど、
つながっていく価値。
そして、つなげていこうとする営みに
目を向ける姿勢を、これからも持ちたいと感じた出来事だった。