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まだ、しゃべるんですかぁ〜!?

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

煌めく時間(とき)を重ねた、貴方へ

雪と、氷と、勝利の女神が
時に気まぐれに運命を動かしていく。
切なさも内包する。しかし、だからこそ、
他には代えがたい、美しく輝く時間―
ソチ五輪が幕を開けます。
これまで、集大成の舞台に臨む選手たちを
取材する機会を得てきました。
すでに放送では紹介しましたが、
この機会に、改めて、エールを送ります。
いずれも、他のメディアでメダル候補と
連日報じられてきた選手ではありませんが、
宝石のような輝きを放つ歳月を経て
この舞台に立つ北海道出身の選手たちです。

釧路出身。26歳にして初の五輪出場を果たした
スピードスケート短距離・住吉都選手。
もともとは中距離。
大学4年のときにインカレ1000mを制し、
本格的に短距離に転向した。
しかし、「これから本格的に短距離を究める」
という矢先の社会人1年目で、
所属する企業のスケート部が経営上の問題から解散。
競技生活の支援をしてくれるスポンサーを探しながら、
貯金を切り崩し、練習環境を求めて各地を転々。
「ほとんど家に帰らないから、家賃がもったいない」と
アパートを解約し、「宿無し」を経験したことも。
「どんな心の声を、自分にかけてました?」とのこちらの問いに
「このままじゃ終われねえんだよ!って感じですね」
快活な笑顔も、彼女の強みだ。
住吉都①.bmp

タフな環境の中で着々と力をつけ、
大学の同級生・小平奈緒に次ぐ、
女子短距離陣No.2の存在に浮上。
さらに昨年春、JOCのアスリート支援事業の力で
所属先が決定。
安定した環境を手に入れたタイミングで挑む初の五輪。
苦難を乗り越えてきた自分を
不敵とも思える笑顔で、こう表現した。
「水を極限まであげないトマトは甘い、ってことですよ」
名言だ、と思った。
住吉②.bmp

「遠い存在だった4年前と違って、
ソチは私の中では予定であって目標じゃない。
メダルも獲るのが予定です、
ってなれば最高ですけどね」
伏兵として、虎視眈々とそのときを待っている。

日本の五輪におけるクロスカントリー史上最高の5位入賞を
前回のバンクーバーで成し遂げ、
メダル候補として3度目の五輪に臨む、石田正子選手。
タマネギやビートを生産する農家を営む美幌町の実家に
昨年10月にお邪魔し、
タマネギが積まれた倉庫でインタビューさせていただいた。
「こっちのほうが家の中より
映像的に面白いでしょ」
表情をほとんど変えずに、さらりと小粋なコメントをする、
独特の空気感を持った人でもある。
石田正子②.bmp

「私は、絶対にオリンピックが終わってから
燃え尽き症候群になんかなりませんよ。
そんなタイプじゃない。
しっかり一度立ち止まって、やろうとすることができるようにならないと
絶対に前には進まないんです。
少しづつ、少しづつ、確実に、じっくり、
カメの歩みです」
石田正子①.bmp

いつも冷静に、客観的に、周囲と自分を見つめながら、
日本のクロカン界の悲願に近づいてきた。
その、メダルへの挑戦も、彼女らしい表現でまとめた。
「山頂の付近にはもういるから、
頂上はそんなに高くは見えないって感じです。
もうかなり上にいるから、頂上まではあとちょっと。
でもそこからが険しいから、
どうやってゆっくり登って行こうかなって感じです」
石田正子と2ショット.jpg

頂上アタックは、フリーの30km。
日本時間22日午後6時30分スタートだ。

スピードスケート、長距離のスペシャリストとして
2大会連続の五輪に臨む
中札内村出身の石澤志穂選手。
石澤志穂①.jpg

(画像提供:トランシス)

駒大苫小牧高を経て社会人入りし23歳で
初出場したバンクーバーは
「勝負より、出られた喜びのほうが
上だったかも知れない」
真の勝負をすべく始まった、ソチへの道は
いきなり頓挫する。
所属する社会人チーム(住吉選手と同じ)が解散。
そのときの彼女の選択は
単身ノルウェーに渡っての長期合宿だった。
メインスポンサー不在の中、
貯金を切り崩しながらの挑戦となったが、
ここに、彼女の「武器」が集約された。
「これだけ自分に投資したんだから大丈夫だろうって。
マイナスなことはひとつも考えなかったです」
この前向きさが琴線に触れ
支援を申し出たのが、
現所属・トランシスの角田辰哉社長。
(会社魂のたましい⑬参照 
http://www.tv-hokkaido.co.jp/announcer/daito/2013/03/post-56.html  )
駒大苫小牧高OBにして、
全日本スケート連盟・橋本聖子会長と同級生という
角田社長の“人の縁”も彼女を助けたのだが、
彼女の支援を決めた最大の理由は、
「僕も若いころからヨーロッパに一人で行って仕事をしてきたから、
彼女の積極性がいいな、と。
いい“気”を持っていると感じたんですよ」
環境を得て、順風満帆かと思いきや、
五輪の前シーズンに
競技人生初とも言える絶不調に陥る。
全日本選手権予選敗退。強化指定選手からも外れる
惨憺たる成績。
そのときも、彼女の「武器」が生きた。
「競技ができる環境はあるし、
身体はケガしてないし、今の私は全てを持っている、
あとは、自分の考え方だけだと思ってました。
強化指定から外れたということは、
自分なりの合宿や練習が組めるんだ、と考えて
この機会を生かそう、と思いました」
目的意識と課題を客観的にみつめ、
一人で考え、やれることをやる。
その習慣を育んでくれたのは
前の所属チームのコーチだった。
「『私がいなくても何でもできるようにするからって』
初めての海外遠征にもついてこなかったんです。
今思えば、そういう習慣をつけてくれたことに
感謝しています」
石澤志穂②.jpg

(画像提供:トランシス)

11月、事実上の海外での今季初戦で
日本人最高成績を収め、
五輪出場選考基準をいきなりクリア。
驚異的な「V字回復」で2度目の五輪を手中にした。
「いろんな人の力があって、今の自分がある。
私が返せるのは、試合での成績だけ。
喜びのほうが勝った前回とは違う、
本番にむけてやるべきことをやって
その日を迎えるんだ、という気持ちで、
自然に五輪に迎えますね」

紹介したい選手はもっともっといますが、
彼ら、彼女ら、全ての選手が積み重ねた
尊い時間がどうか、報われますように。