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2016.2.25
恩返し

最近、敏感になる言葉、
「セカンドキャリア」。
断じて転職したいとかという意味ではないので、誤解のないよう。
仕事を「山登り」に例えるならば、
自分ぐらいの年齢は、
一心不乱に山道を登り続ける段階から
ふと、周りや、これまで登ってきた道程を振り返り
今自分はどの高さにいて、これからどこまで登れるのか、
そもそもどこまで登りたいのか。
最後はどこに下山したいのか、
そんなことに思いが浮かぶ時期である。
漠然としたイメージとしてなのか、
身につまされる現実的な問題なのか、
その辺は個人差があるだろうが、
人生のサイクルの中では、とにかく、そういう時期だと感じる。

同世代で、新たな選択をした人がいる。
94年リレハンメル五輪
ノルディックコンバインド団体金メダリスト、
阿部雅司さん。
私より2歳年上の50歳。
「50歳の新たなスタートです」と
この春から勤めていた札幌の会社を退職し、
名寄市の職員となる。
24日、その記者会見が開かれた。
阿部さん1ショット.jpg

新たな仕事は、
名寄市のスポーツ振興アドバイザー。
ジュニア競技者育成、有力大会開催、合宿誘致など、
名寄市を冬季スポーツの拠点一大拠点にすることを目指す上での
キーマンとして招へいされた。

加藤市長と.jpg

加藤剛士・名寄市長と。これからはタッグを組んで志を形にしていく

現役引退後すぐに全日本チームのコーチとなり、
19年、日本のコンバインド競技を支えた。
自らの引退に歩を合わせるように下降線をたどった
臥薪嘗胆の時期、
それを乗り越えて、渡部暁斗のソチでの銀メダルという
20年ぶりのメダル奪還の時までを過ごした。
2006年、札幌世界選手権を前年に控えたW杯の中継で
解説を務めていただいたことが縁となり、
W杯複合2006①.jpg

その後6時間リレーマラソンのトークショーなどでもお世話になり、
(阿部さんはマラソンランナーとしても相当の実力者)
リレーマラソントークショー.jpg

2014年には、ソチに出場した加藤大平、湊祐介選手とともに参加していただいた

何より競技の現場で、ことあるごとに様々な話をさせていただいた。
コンバインドという競技の面白さ、奥の深さを
教えてくれた「伝道師」であり「スポークスマン」だった。
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去年1月には、9年ぶりのW杯中継で解説をしていただいた

ソチ五輪終了後は会社に戻っていたが
「名寄は子どものころから現役、コーチ時代を通じ
試合、合宿と様々な形でお世話になったところ。
そこからスポーツ振興に力を貸して欲しいと熱心に誘われ、
決意しました」と語った阿部さん。
それは、わかる。
でも、その言葉に到達するまでに、
幾多の葛藤があったことも、同年代だからわかる。
山を登るうちに、たくさんの、いろんなものを背負ってしまうものなのだ。
その中には、自分だけの荷物じゃないものも入っている。
「どこに登りたいか」だけでは、
降ろせない荷物だって、入っている。
そのあたりを全て考えて降す結論、
それが「セカンドキャリア」なのだ。

「僕は現役のときも、コーチのときも
最後の最後にどんな結果が待っているかわからない、
ヒリヒリするような世界の中で生きてきて、
それが性に合っていると思ってます。
これからも、そんな生き方をしていこうと思います」
その “ザ・スポーツマン”と呼ぶにふさわしい、
いつものさわやかさ満点の阿部さんの会見の中で
心に残ったのが
「お世話になったスキー界に恩返しがしたいんです」
という言葉。

「スポーツ界に恩返しを」
競技の世界で生きてきた人が
セカンドキャリアの選択する際に
よく聞く言葉である。
恩を「返す」のは、恩を「もらった」と思っているから。
でも、その根底にあるのは
負い目や犠牲、奉公といった発想ではなく、
「こんなに幸せな人生にしてもらったのだから、
その幸せを、一人でも多くの人に広げたい」という
感謝からくる発想であるべき。
そのためには、まず自分が
幸せじゃなければ、説得力がない。

会見の最後に、
自身がつかんだ、五輪と世界選手権の金メダルを
手にして記念撮影をした阿部さん。
メダル手に.jpg

次に目指す、3つめのメダルは、
セカンドキャリアの中で
形も、中身も、自分の心の中で作り出す
これまでとは違う、
だからこそ、ひときわ輝くメダルとなるだろう。

どうか、幸せな恩返しを。
そして幸せなセカンドキャリアを。
阿部さんの次なる挑戦に
こころからエールをお送りします。