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まだ、しゃべるんですかぁ〜!?

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

トンネルの向こう

先月、遅まきながら、夏休みをとり

(この表現が日本語としておかしい。秋休み)

2年ぶりに実家に帰った。

今回も羽田空港近くでレンタカーを借り、常磐高速をひた走る。

学生時代は免許がなく、名古屋時代も一度も車で帰らなかったので、

ドライブでの帰省は新鮮だ。

実家への距離が具体的にイメージできる地名が

標識に表示され始めたころ、

連続してトンネルの中を走ることになった。

チャイルドシートで子どもは熟睡。

助手席の妻も目を閉じ、口を半開きにして

規則的な呼吸をしている。

ハンドルを持つ手に緊張が走る。

「家族の生命を預かって走っている」というリアリティが急に頭をよぎる。

普段の運転ではあまり感じることではないのに。

走りなれない車、走りなれない道で出会うトンネルの連続は、

いつもと違うネガティブな感情と緊張をもたらすものだと痛感した。

 

同じ頃、別の長いトンネルに入り込んでしまっている「風の神」がいた。

10月24日以来、勝ち星から遠ざかっているレラカムイ。

実家でも携帯サイトで試合の行方を案じていたが、

勝利はなお遠く、連敗は伸びていた。

休みが終わり、ホームゲームの取材に行っても、

負の連鎖は止まらず、連敗は二ケタまで伸びてしまった。

 

そして迎えた11月29日。

終盤のしびれる競り合いを制し、35日ぶりに勝利がもたらされた。

会場全体を支配した「祈り」の空気

その瞬間に包まれた「歓喜」ではなく「安堵」。

チームが一丸となって勝利をもぎ取るべく奮闘したのは事実だが、

何かの「見えざる手」によって「もたらされた」という表現の合う試合であった。

 

試合後の取材。

39歳の同い年、東野HCと折茂選手に話を聞いた。

失礼な表現だが、2人ともスポーツの試合を終えた、

しかも勝利で終えたものの顔には見えなかった。

洞窟から生還した探検家のようだった。

「無事、還ってまいりました」という言葉が

口をついて出てきそうだった。

それぐらい、道のりは暗く、険しかったのだ。

 

「簡単なシュートが入らない、相手のシュートは簡単に入る。

バスケットがどうしてこんなに難しいんだろうと感じられた。

自分たちを見失い、“プレー”することができなくなってしまっていた。」(東野)

 

「迷いもあったし、もしかしたら俺はもうダメなのかも知れないと、

プレーヤーとしての尊厳が失われそうになったこともあった。

年長者として情けないけど、若い選手たちにかける言葉が見つからず、

呆然としてしまう自分がいた」(折茂)

 

いつもとは違うネガティブな思考と、無用な緊張感。

暗いトンネルの中を、出口に向かって疾走するときの感情は同じなのか。

もちろん、重みは較べるべくもないものだが。

 

1年目に11連敗。2年目にも8連敗。

大型連敗の呪縛から逃れられないレラカムイ。

「過去の連敗と、今回の連敗。

脱出するための模索は同質のものでしたか?」と2人に聞いた。

表現は違うが、同じ内容の答えが返ってきた。

 

「リードされて、追い上げて負け続けたのが1年目。

途中まで勝っていて、ひっくり返される2年目。

今年は序盤からずっと接戦のシーソーゲームで、最後に負ける。

力がついているのがわかるから、悔しい連敗だった」(東野)

 

「勝てないチームがどう勝つかを考えた1年目。

1年目と違うところを見せなきゃと思ってはまりこんだ2年目。

真価が問われると思って、やれると思って、早く止めようと思って

止められなかった3年目。

だから、今年が一番苦しかった」(折茂)

 

毎年、トンネルの中で見える風景は、違ったのだ。

精神衛生上は、どんな風景でもよろしいものではなかったろうが。

 

長いトンネルを抜けたレラカムイ。

これからは、3車線ぐらいの開けた道を、

のびのび走る姿を見たいものです。