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まだ、しゃべるんですかぁ〜!?

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

「壊し屋」との再会

あらかじめ言っておきますが
決して、物騒な話ではありません。

今から9年前、2007年の春だったと記憶している。
自己紹介の第一声で、その人は、
「CRUSHER(=壊し屋)と呼んでください」と、
満面の笑顔で言った。
人懐こくて、邪心のなさそうな笑顔をたたえながらも
全身に言いようのない「ギラギラした」熱気を纏っている。
インパクト十分の初対面は、
北海道に初めて誕生したプロバスケットボールチームの、
初代ヘッドコーチ就任会見の席上だった。

今月9日、
Bリーグ・レバンガ北海道対名古屋ダイヤモンドドルフィンズの会場、
きたえーるで再会したその人の名は、東野智弥。
他局の中継の解説のための来札だが、
試合前、束の間の再会を果たすことができた。

東野智弥と2ショット.jpg

石川県出身の46歳。
日本バスケ界の一時代を築いた佐古賢一、折茂武彦と同学年。
早稲田大学卒業後、実業団で3シーズンプレーし指導者に転身した。
アメリカの大学でのアシスタントコーチを出発点に、
日本の実業団、大学、車椅子バスケ日本代表、
そして2006年世界選手権での日本代表アシスタントコーチなどの経験を経て、
2007年、当時の国内トップリーグ・JBLに参戦する
レラカムイ北海道でヘッドコーチを務めるべく、北海道にやってきた。
彼にとっても新たな挑戦であったが、
北海道の放送局のアナウンサーにとっても
バスケットボールを実況対象として意識するエポックでもあった。
なんとかこの新たな競技を「モノにしたい」
そのためのきっかけを、どんな形でもいいからつかみたい。
初めての出会いは
そんなしゃべり手の本能がムズムズと動きだしているときだった。

「プロのバスケットを北海道にどう示していくか―」
お互いがそのテーマについて試行錯誤であることをいいことに、
少々厚かましく話かけ、いろいろ話をさせてもらった。
電気も通っていない、廃校となった高校の体育館での練習後、
差し入れのスイカをほおばりながら、
バスケット談義をさせてもらったのは、
今となっては青臭い思い出である。

指揮を執った3シーズンは、
8位―7位―7位(8チーム中)と、結果は出なかった。
ゼロから立ち上げたチーム。経営面も不安定。
そして自身、国内トップリーグのヘッドコーチ初体験など
厳しい条件もあり、志半ばで退任し、北海道を去った。
その間、何度か実況させてもらい、
解説として放送席に座ってもらったこともあった。
(自分のチームの試合を、録画放送でヘッドコーチ自らが解説するという
斬新な放送だった)

その後の彼の歩みは、
初対面のときの、あの「明るいギラギラ感」を裏切らなかった。
日本代表アシスタントコーチを再度経験した後、
母校の大学院に進んでバスケットボールを改めて学び、
NBAのコーチングスタッフ入りを目指して渡米。
帰国後、解説者を経て
bjリーグ、浜松・東三河フェニックスのヘッドコーチに就任。
2014-15シーズンには、リーグ優勝も果たした。

「クラッシャー=壊し屋」のニックネームは、
最初のアメリカ滞在時についたもの。
チームメイトから、
どんなことにも積極的に、アグレッシブに取り組む姿に対してつけられたという。
(プレースタイルもそう呼ばれるものだったらしいが)

以来、自らを「コーチ・クラッシャー」と称し、
小中学生を対象に全国各地で行ったバスケットボール教室も
「クラッシャー・バスケットボール・キャンプ」と名付けた。
日本的な「上から目線の指導」ではなく、
「楽しく一生懸命」をモットーに、
面白おかしく、子どもたちをのせていき、
バスケが好きになる手法を取り入れた。

彼が「クラッシャー」という言葉に自分を重ねるのは
この言葉に、「固定観念を壊す」という、
自分の生き様を込めているからでもある。
レラカムイ時代も、大胆な選手のコンバートを度々行った。
正直、結果にはつながらなかった印象が強いが、
「彼らが経験してきた日本のバスケの枠ではなく、
世界基準のバスケットで考えたポジションをやらせたい」
という思いを度々口にし、その信念はぶれなかった。
何より、自身の生き様そのものが
日本の旧来の「バスケットマン」の枠に収まっていない。
それゆえに、魅力的でもある。
会うたびに、なんともいえないエネルギーをもらう。
今回も5、6年ぶりの再会で、ほんの数分話しただけなのに、
しばらく「余韻」のようなものが残った。

彼の現在の仕事は
日本バスケットボール協会理事、技術委員長。
2020年東京五輪を控え、
世界のバスケの成長スピードに後れを取っていると言わざるを得ない
現在の日本のバスケット界において、
この肩書きを背負った責任は、とても重い。
「そんなに重いものを背負って大丈夫ですか」と
問いたい気持ちを、飲み込み、
束の間の再会を楽しんだ。
「クラッシャー」には、その問いかけは不要だ。
貴方のこれからの「壊しっぷり」
これからも、見届けさせていただきます。