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TOPアナウンサー大藤晋司ブログ【合掌】わが心の、永遠のエースへ

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2022.3. 9
【合掌】わが心の、永遠のエースへ

日曜の午後、

前職の先輩から携帯メールが届いた。

タイトルは「残念なお知らせです」。

  

一度大きく深呼吸してから、続きを読む。

「三沢淳さんが3日、亡くなりました」の文字。

天を仰ぎ、また、深呼吸をした。

  

中日、日本ハムで投手として活躍し

通算107勝を挙げた元プロ野球選手の三沢さん。

現役時代、下手投げで打者を牛耳る背番号11を

幼い頃からテレビ中継で見ていた。

巨人戦に強かったことから特に印象が強く

「パ・リーグを代表するアンダースローは山田久志で

セ・リーグは三沢淳」だと思っていた。

引退後は野球解説者として

全国ネットの番組でもその姿をよく観ていて

野球実況を夢見ていた若者には

まばゆい存在だった。

  

幸運にも前職で、一緒に仕事ができることになった。

アナウンサーとして話ができる「初めてのプロ野球OB」が

子どもの頃から見ていた三沢さん。

毎回、顔を見るだけで気分がグッと高揚した。

  

様々な追悼記事でも紹介されているように

プロの「修羅場」で戦ってきた人とは思えない優しい人柄で

入社1年目の新米アナ時代から

気軽に話をしてくださった。

三沢さん.jpg

  

約30年前の、ある日のナゴヤ球場での会話。

「大藤くん、頑張ってるかあ?」

「いやあまだ全てが勉強です。

ブルペンではガンガンいい球を放るんですけど

試合では通用しないです。

周りからは"ブルペンエースやな"って言われてます」

  

こんなことを言っても怒られなさそうな雰囲気に甘え

つい面白くもない軽口をたたいてしまった。

  

すると三沢さんは、笑顔のまま

「ブルペンでも、エースならええやないか。

あとはマウンドでも思い切って投げりゃあええんや。

大藤くんは元気が持ち味の子なんだから

そのままの自分を出せばいいんだよ」

  

この先自分がどこまでできるのか不安を抱えながらも

虚勢を張っていた若造にとって

心が軽くなる言葉で、ジンと胸にしみた。

  

その後、初めてのプロ野球実況

(ステレオ副音声の巨人―中日戦)で解説を務めていただき

「プロ初登板」を助けてくれた。

さらにその後、情報番組のキャスターになると

デビュー以来、名物コーナーで共演していただいた。

出演者としては、大先輩。

丁々発止のやりとりが売りの

プレッシャーのかかる全国ネットの番組だったが

三沢さんの顔を見るといつも安心できたし、

実際に必ず、助けてくれた。

  

国会議員に立候補するため

その後番組を離れた三沢さんに再会したのは

なんと1996年の衆院選で

当選したときの代表インタビュー。

大勢の後援者をかきわけて登壇した三沢さんと

数年前までいっしょにやっていた番組と同じ並びで立って

「それでは当選された三沢淳さんにうかがいます」

と切り出すと、東京のスタジオから

「まるでヒーローインタビューだね」という声が飛んだ。

それを耳にしたときの三沢さんの笑顔は

今も心に残っている。

  

最初に仕事をした野球解説者が

三沢さんじゃなかったら

自分はきっと、なにかを勘違いした人間になっていたかも知れない。

いつも優しく、でも強い芯を持ち

目の奥に野球人としての矜持が輝いていた三沢さん。

貴方がいたから、今の私がいます。

  

私にとって貴方は、永遠のエースです。

ありがとうございました。