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まだ、しゃべるんですかぁ〜!?

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

釧路にて。「区切り」の春を思う

この日記を出張先で書くのは久しぶりだ。宿の窓の向こうには霧にかすむ街が広がっている。ここは霧の街、「氷都」とも呼ばれる町、釧路。その名の通り札幌などと違って冬は雪が少なく、その代わりに辺り一面が氷に包まれる町だ。以前来たとき、海辺のアスファルトの上に張った氷が、海風を受けて波打った状態で凍っていたのが印象的だった。そんな氷の町のスポーツといえばもちろんスケート。スピードスケートでも幾多の名選手を輩出しているが、今回この町に来た理由はアイスホッケーである。アジアリーグのプレーオフファイナル、日本製紙対SEIBUの取材でやってきた。ウインタースポーツを代表する団体競技、「氷上の格闘技」と評され、「一度観たら抜群に面白いと気づくよ」と以前から“観戦の先輩”たちから感想をいただいていた競技であったが、北海道暮らし6年の中で、不思議と観戦の縁がなかった競技であったので、今回の出張はかなりこころ沸き立つものであるはずのものであった…と少々のひっかかりを覚える表現となっているのは、この出張が決まった背景にある。

 
日本のアイスホッケー界の名門、国土計画、西武鉄道の流れを組むSEIBUは、今シーズン限りで廃部となることは、ご存知の方も多いかも知れない。昨今の世界的不況の中、日本の企業依存型のスポーツのあり方が問われた例としてニュースでも多く取り上げられている。その「最後の大会」が今回のプレーオフであり、この釧路で「決着がつく」すなわち「SEIBU最後のとき」がやってくる可能性がある。ニュース的な価値は従来の大会とは違う。だから、取材をする機会が生まれたのである。極論すれば今回の釧路行きは、SEIBUのチームの終焉と引き換えに生まれたものであり、それがどうしても自分のひっかかりとなってしまっている。 

そのひっかかりのようなものが、試合会場にも漂っている。本来なら余計なことを考えず純粋に勝負の行く末を楽しめばいいはずの舞台だが、ところどころに「SEIBU最後のとき」への感傷を意識せざるを得ない光景が存在する。会場にはチームの存続、新たな受け入れ先を求める嘆願書の署名活動が行われ、日本製紙のホームということとは全く関係なく、多くのアイスホッケーを愛するファンが署名に参加していた。SEIBU応援団が陣取るエリアの横断幕にも、来季以降の選手たちを案ずるコメントが書かれていた。なにより会場にいる自分自身の存在が、そうした感傷に該当するものの一つであると思うと、虚しい気持ちにならざるを得ない。スピード、パワーがほとばしるアイスホッケーという競技の魅力は確かにインパクトはある。しかしできれば、そんな感傷が横切らない中でこのアジアの頂点を決める試合に携わりたかったという思いが離れない。

3月は別れの季節である。今年も今月に入って、いろんな「別れ」の知らせを聞いてきた。会社を辞めて再出発を図る人、会社内での異動で新たな分野に移る人、転勤で札幌を離れる人。様々な知らせを耳にするたびに、切ない思いがこみあげる。かつては、そのこみ上げる「切なさ」とは、単純にその人と別れることに対する寂しさといった感情が主たるものであった。しかし今は少し違う。別れという事実そのものへの感情ではない。「あなたのその別れは、あなたにとってどれだけ納得のいくものなのでしょうか」という問いかけを、自分の気持ちに移し替えたときに沸き起こる、様々な思いであることが多い。あるときには「よかったね。自分でそこまで考えて、納得のいく決断をして、実行できたんだ。次のステージでも頑張って」という甘酸っぱい気持ちになり、またあるときには「決して本意ではないだろうに。笑顔の奥にある傷ついた気持ちは伝わってくるよ。引きずっている思いを、どうか新たな力に替えていって」という、祈りのような感情が走ることもある。 

あたり前のことだが、人生における「区切り」は、自分でつけられるものと、他人によってつけさせられるものがある。それは、人間が社会生活を営む以上、避けることはできない。ただ、できることなら、1度しかない自分の人生なのだから、区切りはできるだけ自分でつけたい、とみんな思っているはずだ。他人に自分の区切りをつけられるのは、いわば自分の人生に介入されることであり、憤りや悲しさ、といったネガティブな感情が芽生え、それと格闘しなければならないのは、人間として辛いことだ。逆に自分で区切りをつけられれば、そこに至るまでの悩み、決断する勇気、未来への不安などは混在するものの、確実に達成感と自分へのプライドは残る。そしてそれを成し遂げた人を見ると、賞賛の念と、自己投影からくるカタルシスを覚え(ちょっとジェラシーも沸くものの)、他人事ながら、ポジティブな気持ちになれる。そしてきっとそう思うのは、他人によって自分の人生が、ときに理不尽なまでに蹂躙されることのほうが多い、すなわち自分で区切りをつけられることが難しい、という世の中の現実を、少なからず認識しているからだろう。

初めて訪れたアイスホッケー会場。ひんやりとした空気が充満している。ここにいるSEIBUの選手、チーム関係者、そしてその家族(多くの選手が家族を釧路に連れてきていた。地元出身の選手も多いこともあるのだろう)は今、他人に区切りをつけさせられ、その区切りのときが目前に迫っている。その事実を伝えるためにやって来ているという自分の気の重さを感じるからこそ思う。別れの季節は、別れを惜しみ、次なる旅立ちにエールを送る季節のはずだ。本来ならそれは送るほうも送られるほうも、晴れがましい気持ちで迎える季節であって欲しい。 

札幌から釧路までJRで移動中、隣の席の紳士が口元を緩ませ、一人笑いをしながら手元の書類にペンを走らせていた。失礼ながらこっそり覗くと、卒業式に生徒たちへの別れの挨拶の原稿を推敲していた。校長先生なのだろうか。その笑顔は、生徒一人ひとりの顔を思い浮かべ、彼ら、彼女らの未来への期待がこぼれ落ちていた。 

この春、自らの手で、あるいはそうではない形でも、人生の区切りを迎える人へ。 

区切りの向こう側を、どうか自分の力で切り拓いていかれることを、そしてその先に、納得のいく次なる区切りがあることを、お祈りします。

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