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まだ、しゃべるんですかぁ〜!?

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

会社魂のたましいVol.24 アトリエ・モリヒコ(札幌市)

喫茶店=不良が行くところ。
昭和50年代、茨城の片田舎で暮らしていた若者は
真剣にそう思っていた。
上京し大学入学した彼はある日、先輩に誘われて喫茶店へ。
アイスコーヒーを注文後、
「ガムはいらないのか?」と先輩に聞かれた彼は、狼狽する。
「東京の人は、ガムを噛みながらコーヒーを飲むのか?」
「いやあ、ぼくはガムは苦手で…」といいながら、
ガムシロップではなく、
テーブルシュガーをアイスコーヒーにぶち込む彼を、
先輩は、グラスの底に沈殿する砂糖とともに
茫然としながら見つめていた。
…実話です。

そんな私の「痛い」体験を
「アトリエ・モリヒコ」の市川草介代表は
柔和な苦笑いを浮かべて聞いていた。
同じ、1967年生まれ。
約20年前にオープンさせた「森彦」を
札幌を代表するカフェに成長させたのを皮切りに
カフェの経営、コーヒーの販売、焼き菓子の展開など
ひろく「コーヒー事業」を展開する企業のトップである。
同い年なのに、なんという違いか。

「10代のころから、喫茶店を探して、
そこで時間を過ごすのが好きな“カフェマニア”でした。
高円寺とか吉祥寺とかの路地裏に入って、
自分だけのお気に入りの店を探すのが楽しみで。
表通りの入りやすい場所じゃなく、
ひっそりとやっているような店ばかり選んでました。

でも、今思い返すと、
ただ“好きな喫茶店探し”をしていたわけではなかったんですね。
お店の中をしげしげと眺めながら
『この空間にこういうものがあったらいいのに』
『ここは吹き抜けのほうがいいよな』とか
店を評論するのを楽しんでいた。
その頃から自然に
『経営者』の視点で店を見ていたんだと思います」

デザイナーとして札幌で職を得て、
順調に仕事を進める中、
自宅にほど近い、円山の住宅街に
時代に取り残されたようにひっそりと建っている
古民家に惹きこまれる。
ある日、その家が売りに出るのを知ると、
いてもたってもいられず、自分のものにし、
仲間や家族の力も借りてリノベーションし
30歳を前に「森彦」をオープンさせる。

「自分の思いを形にしたけれど、
『自分が厨房でコーヒーを入れている』
イメージは湧かなかったんですよね。
僕はあくまで、客のひとりとして、店の空間に溶け込んでいる。
これも、今にして思うと、
カフェのマスターをやれればいい、じゃなく
コーヒービジネスの一環としての店舗経営、
という視点の
表れだったんだと思います」

デザイナーの仕事の傍ら、
自宅に焙煎機を入れ、オリジナルのブレンドコーヒーを作った。
青春時代から鍛えた舌と感性、
そして「どれだけ飲んでも飽きないですね」という
コーヒーへの愛情。
やがて森彦は、札幌を代表するカフェとなった。

ここまでは
「副業でカフェのオーナーをしている、コーヒー好きの人」の物語。
ここから、経営者・市川代表の次の物語が始まる。

理想とするのは“コーヒー業界のディズニー”だという。
「アニメでも、映画でも、アミューズメント施設でも、
何をやっても、ディズニーは
ディズニーということで期待されるし、ファンがいる。
そんな存在になりたいんです。
コーヒーが真ん中にあって、周囲にどんどん同心円状に
コーヒーにまつわるビジネスが広がっていく
どこまで広がっても、森彦は森彦。
そんなイメージです」

店舗の出店や新規ビジネスを行うにあたって
市川代表は常に「ストーリー」を頭の中に描くことから始める。
デザイナー出身の“矜持”でもあり、
森彦のファンである人たちの、深く、熱烈なる期待に応え続けるために、
一杯のコーヒーを巡って、幾千ものストーリーを
常に頭の中にめぐらせている。

悲惨ともいえるエピソードから始まった
コーヒーとのお付き合いではあるが、
この年になると、
人生の豊かなストーリーを描くために
大切な存在であることは理解できる。

そんな大切な一杯とのかかわりを
より深めてくれるビジネスを展開する
アトリエ・モリヒコの会社魂は
9
月1日の「けいざいナビ北海道」で。

とっておきの一杯を片手にご覧になることを
おすすめします。