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まだ、しゃべるんですかぁ〜!?

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

初夏に思う―氷上に蒔かれた種のこと

「梅雨のない北海道の6月は

1年で一番、爽快な気分を味わえる季節です」

...と決まり文句のように言っているが、

どうも最近、それはあやしいと感じる。

     

子どもの運動会は荒天で延期。

YOSAKOIソーラン祭りも連日雨にたたられ、

ファイナルステージは

冷たい風の中、手がかじかみながらの生放送だった。

    

「北海道に梅雨はない」は

もはや幻想なのでは...

などと考えているときに届いた、

遥か彼方の国からの知らせは、

気持ちを「初夏の札幌モード」にしてくれた。

     

以前このブログでも紹介した

「日本カーリングの父」、

カナダ・アルバータ州在住の

ウォーリー・ウルスリアックさん(87)が

今年度の春の外国人叙勲者として

旭日双光章を受章し、

今月15日(現地時間)に、

その伝達式が行われた。

   

ウルスリアック氏叙勲②.jpg

ウルスリアックさんと田辺総領事 

式はカルガリーの日本総領事公邸で行われ、

冒頭、田辺邦彦総領事が、

80年代から90年代にかけ、

日本のカーリング指導者の育成と、

スポーツを通じた日加交流を実現した

ウルスリアックさんの功績を称えるとともに、

「指導を受けた北海道の人々が

今でもウルスリアックさんを慕っている。

日本におけるカーリングの普及は

その人柄によるところも大きかった」

と謝辞を述べた。

   

勲章と勲記の伝達を受けたウルスリアックさんは、

「来日した当初は

誰もカーリングを見たことがなかったのに、

日本の人たちは温かく迎えてくれた。

今も、当時の生徒との交流が続いている。

カーリングを共通言語にして、

これからも日加関係がますます近しいものになってほしい」

と晴れがましくスピーチした。

ウルスリアック氏.jpg

 スピーチするウルスリアックさん

この栄誉をひときわ輝かせた出来事がある。

4月、カナダ・エドモントンで行われた世界選手権で

日本男子チームが、平昌五輪の出場枠を獲得した。

日本男子が自力で五輪出場権を得るのは、史上初。

そして、出場権を獲得したたSC軽井沢には

南富良野町出身の山口剛史選手がいる。

ウルスリアックさんの蒔いた種が、

巡り巡って、地元・アルバータ州で実った。

そしてその後の4月29日に

叙勲が決まるという、最高のタイミングとなったのだ。

   

伝達式でも田辺総領事から

「ウルスリアックさんがいなければ

今回の快挙と、現在の日本カーリングの隆盛は

なかったでしょう」との言葉が添えられた。

カーリングの神様が書いた

粋なシナリオのような見事な流れだ。

ウルスリアック氏家族.jpg

ご親族の方々とともに

(画像はいずれも在カルガリー総領事館提供)  

そして、今回のうれしい報を知ったからこそ

心に浮かぶことが、もう一つ。

    

ウルスリアックさんに手ほどきを受けたことをきっかけに、

カーリングの魅力にひきこまれ、

常呂町(現・北見市常呂)を

「カーリングの町」と呼ばれるまでに尽力された

常呂カーリング協会初代会長・小栗祐治さんが、

5月26日、88歳で逝去された。

    

以前、道東のスポーツに関連した特番を制作したとき、

https://www.tv-hokkaido.co.jp/announcer/daito/2011/11/post-34.html

常呂のカーリングホールで

小栗さんにお会いすることができた。

小栗さん②.jpg

2011年10月、番組で取材したときの、在りし日の小栗さん

街を挙げて毎年行われるリーグ戦の開幕日、

さっそうと「マイブラシ」を持って登場し、

「83歳!」とカメラに向かっていたずらっぽく笑う姿は

今も心に強く刻まれている。

 小栗さんストーン投げる.jpg

補助具は使っていたが、ストーンを放つ姿は堂に入っていた

「カーリングじいちゃん」の愛称で親しまれた小栗さん

ジュニア選手の発掘と育成に情熱を注いだ。

https://www.tv-hokkaido.co.jp/announcer/daito/2013/10/post-65.html

 小栗さん指導風景.jpg

 小栗さん①.jpg

子どもたちを見つめる温かい視線は今も記憶に残る

9月に、女子の平五輪代表決定戦を控える

本橋麻里選手LS北見の選手も、

小栗さんが発掘し、励ましてきた教え子たちだ。

決定戦の会場は、アドヴィックス常呂カーリングホール。

そのときに会場で集う人たち、醸し出される空気、

そして繰り広げられる熱戦は、

小栗さんが蒔き、育んできた

「カーリング文化の種」の実りそのものとなることだろう。

   

果報と訃報。

日本カーリングの草創期に欠かせなかった二人の

対照的な知らせを受けたからこそ思う。

二人の蒔いてきた種は、

時を経て、今、豊かな実りとなっている。

そのことを、改めてかみしめたい。

  

そして願わくは、この冬、

更なる大きな実りの報が

平昌から届きますように。

   

今回も

在カルガリー総領事館

広報文化班副領事の
渡守麻衣さんのご協力をいただき
書かせていただきました。

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