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2010.7. 2
ワールドカップ徒然草

4年に一度の祭典の最中、

サッカーについて

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くってみました。

 

観る、語る、実況する-サッカーに関してこうした行動を起こすとき、常にこの言葉を思考のトップに置くことが、20年来のクセになっている。

 「サッカーには、プレーヤーたちを育んだ歴史、文化、教育など、すべてが現れる」

 

新人アナのとき、サッカー実況を学ぶ際の心得として先輩から教えられた言葉である。当時は、高校サッカー実況の心得として。「各都道府県の代表校には、必ず“ふるさと”を表現する何かを持っている。そこを探す努力を怠るな。それこそが、サッカーの本質だ」という表現で教わった。時が経つほどこの言葉の重みを感じ、現在はサッカーのみならず、自分が携わる全ての競技に当てはめて考えるべき基準となっている。

 

 今回のワールドカップは、開幕まではこの言葉を胸の中で掲げるのが怖かった。

 

当初、われわれの“ふるさと”である日本代表への期待感は極めて低く、建設的な批判を超えた、敵意や自虐、冷笑の声があふれた。自らのふるさとを貶めるようなそうした声が、的中してしまったら…と考えると、重たい気分になっていた。

あのときの恐怖は今、安堵と幸福に変わっている。

それは海外開催初の予選リーグ突破、という結果が出たからということだけではない。

骨格、瞬発力、筋肉の質といった身体能力の差という現実を受け入れた上で、それに対抗しうる、緻密さ、持久力の高さ、組織力の高さ、応用力の高さ、勤勉さ、献身さを駆使するという日本人の特性が、世界中の人に分かりやすく表現されたからだ。

 

「サッカーはチームスポーツということを証明しようということでやってきた」

「一人一人の力は小さいかもしれないが、1たす1を3にする」

100メートル走では負けても、400メートルリレーでは負けない」

「選手達は、臆することなく、冷静に、かつ激しく闘ってくれた」

 

 岡田監督が残したこうした言葉は、「日本人の」私たちにとって、こころの奥に響く言葉のように思える。昭和40年代前半生まれで、田畑、山河に囲まれた、いわゆる“田舎”で育った平均的かつ平凡な日本人なりに、言葉にできるものと、もっと皮膚感覚的なものも含めた“日本人とはこういうものだ”というイメージと、ピッチ上で表現されたものが、概ね一致できた、と実感できたことに、安堵と幸福を感じている。

 

さらに踏み込みます。

 

「もっと自己主張をするべき」「ゴール前ではエゴイストになれ」という指摘が日本のサッカーの欠点としてるが、今回のワールドカップでの各国のパフォーマンスを見ると、これには大切な文言が隠れていたと感じる。

 

「チームのために」自己主張し「チームの勝利のために」エゴイストになるべきなのだ。「自らの利益のために」「保身のために」自己主張するのではなく、「自分が目立つために」エゴイストになるのではない。

「一体感」というキーワードが日本を躍進させ、それが欠けた国が惨めな敗退を喫した事実が証明している。

「個の力のスケールアップ」が今後の課題だといわれている。それは確かなことだが、言葉足らずの「自己主張」や「エゴ」が一人歩きしないことの大切さが、浮き彫りになったと思う。

 

この点について、サッカー専門誌に書かれていた、フランス在住のスポーツジャーナリスト、木村かや子さんのエピソードは、とても印象に残った。

 

木村さんが以前、フランスのユース育成所を訪問した際、指導者が選手の進級の判断基準に、技術などに加えて「知性と敬意」を挙げていたという。その点について質問すると、指導者からはこんな言葉が返ってきたという。

「仲間や指導者に敬意を払い、正しく振る舞う知性のない選手は、いくらドリブルがうまくても、結局は大選手にはなれない」

(サッカーマガジンより)

 

サッカーはやはり、歴史、文化、教育、すべてが現れる、恐ろしくも、魅惑的なスポーツなのだ。

 

あやしうこそものぐるほしけれ。